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Surfer's Art Books Topics

小林 昭 interview

Bueno!) 今回は写真集『P.O.P.』で70年代のヴェニスビーチを中心にアメリカ西海岸の若者文化を紹介された小林 昭さんに撮影背景とその頃の想い出話を聞かせていただけたらと思います。よろしくお願いします。

イシハラ) この写真集の発売に合わせて渋谷は神宮前のパタゴニア・オーシャンでプリントを含めて展覧をされましたよね。その時に『P.O.P.』にあったジェットコースターの廃墟の写真と、あと運河の犬の写真に僕はもうノックダウンされました。

小林 昭) 本当? あのヴェニスの運河の写真のことを言ってくれる人って結構少ないんだよ。それは嬉しいね。あの運河の脇にメリーさんって写真集の最初のページに出て来る人が住んでてね。僕はその人に凄いお世話になったんだ。その人はとてもエキセントリックな女性でね。あの写真の運河をロングボードで漕ぎながら行き来してたりしてね。何にも着てない時もあったよ。

イシハラ) 今でも連絡は取られたりしていますか?

小林 昭) 西海岸には住んでることはわかっているんだけど。直接は逢っていないんだよ。なんでも凄い成功されてマリブに住んでいるって人伝いに聞いたな。逢いたいし、この写真集を手渡ししたいな。この前も撮影でロスに行った時にね。まず、まっさきにこの運河に行って写真を撮った よ。今は当時と違って随分と立派になったけどね(笑)。護岸工事して綺麗になっちゃったね。それでも僕にとっては想い出深い場所だよ。

イシハラ) 僕はスケートボードの友達がヴェニスのスピードウェイに住んでいたんです。もう80年代になってからですけど。あの辺りを流してて、あの運河はアボット・キニーっていう起業家が実際にイタリアのヴェニスをそっくり真似て運河を造ったり、ゴンドラまで用意して豪華な街作りをしたって聞きました。ただその後に石油が掘れるのが分って採掘でその企画自体が頓挫して廃墟になったって言ってましたけど本当ですか?

小林 昭) 僕が住んでた70年代がまさにそうだね。別のページの写真で写ってる建物は当時、なんだか怪しい雰囲気でねぇ。そこはもともとモニカホテルって名前なんだけど「シナノン」って呼ばれていて。聞いたら麻薬中毒者のリハビリ施設だったよ。そこの裏の「シービューテラス」ってホテルに僕は住んでてさ。怖かったなー。そこの一階にコインランドリーがあってね。夜なんか行けたもんじゃなかったな。だって突然、ジャンキーが現れて発狂するかもしれないんだよ。本当だよ。

イシハラ) うわー。そりゃ最悪ですね。今でもメインストリートに何件かモーテルが残っていますよね。あの辺りのモーテルの部屋ってカーペットがなんだかベタベタしてないですか?

小林 昭) そう。日本人だとシャワーあがりに裸足で歩けないの(笑)。カリフォルニアなのにジトってしてるよね。本来は赤いカーペットなのにもう黒に近くて汚い。

イシハラ) この炎上してるクルマは?

小林 昭) ここはリンコンとヴェニスブルバードの角なんだけど、行ったら燃えてたの。今、ここは吉野屋とかがある所。今でもなんだか凄いヤバイ雰囲気だよ。あと食べ物屋で思い出したけどね。当時、サンタモニカに「International House of Pancake」があってね。今では略して「IHOP」って呼ばれてるよね。その当時はまだオリジナルのペンキが塗られてる三角屋根でね。そこでバスボーイ(後片付け)のバイトしたこともあるよ。アメリカで一番虐げられてる仕事だよね。裏方の裏。でも、ウェイトレスの女の子とかと仲良しになったりもして楽しかったなぁ。

イシハラ) なんか結構、青春な話ですねぇ。小林さんが最初に渡米したのはいくつの時で、なんでまたよりによってヴェニスに住んだんですか?

小林 昭) 27歳だったかな? 僕、結構遊んでてね。仕事するのも遅かったんだよ。とにかくジャズが好きでね。それで行ったんだけど。着いてみたら、そんなのもう流行ってないんだよ。クラブに行ったら「来週BBキングだよ」とか言われてさ。そんなのジャズ好きにしてみたら興味の対象外だからね。唯一はラグーナビーチまで遠出してね。そこに「ライトハウス」ってクラブがあるんだけど、そこでサラ・ボーンがラグーナ・ライトハウスオールスターズをバックに演奏してるのを観てそりゃあ感激したね。西海岸ジャズって当時はもう完全に廃れていてね。みんなスタジオミュージシャンとかに転向しててステージに出ないんだよ。それに時代がビ−ト族からヒッピー文化にもうなり出してた。69年だからね。

イシハラ) ジャズミュージシャンって結構ジャンキーが多くないですか?

小林 昭) さっきの「シナノン」にはアート・ペッパーとかチェット・ベーカーとかもリハビリで来るんだよ(驚)。みんなここで更生するんだよ。BBCが制作したアート・ペッパーのドキュメンタリ番組でも紹介されてたな。

イシハラ) え? 「シナノン・クラブ会員制」ってそういう意味なんですね。今は高級ホテルが立ち並んでますよね。あとヴェニス・パビリオンとかってもうあったんですか?

小林 昭) あったよ。そこでみんなヒッピー仲間が集まって寸劇とかするんだよ。だけど途中から話がどんどん変わっていちゃうわけ。

イシハラ) 映画『イージー・ライダー』でピーター・フォンダとデニス・ホッパーがヒッピーコミューンの世話になるパートで同じような寸劇をやるシーンがありますよね。

小林 昭) そうそう、まさにあれだよ。あれは映画だけどね。僕が居た頃は本当にあんなだったんだよ。おっかしな奴らばっかりだったな。

イシハラ) この部屋で学芸会みたいなのやってる人は?

小林 昭) この人はアーティスト。トム・スウェルって言う。今は有名なアートディレクターだね。自宅で撮らしてもらったんだ。

イシハラ) こっちのスクールバスの写真はなんですか?

小林 昭) これはね。この夫婦の裏庭に置いてあってさ。彼女はさ「これで旅に出るの」って言うんだけど。タイヤはパンクしてるし、もうすでに何年も庭に放置されてるんだよ。でも、時間をみては少しづつ手直しをしててね。その辛抱強さといつも夢を抱いてるのがいかにもアメリカって感じだね。

イシハラ) 僕はあとこのレコード屋の写真でフランク・ザッパの『2000モーテル』が新発売! ってのにも反応しました(笑)。

小林 昭) これはサンセット大通りのタワーレコードだよ。本店だね。もう夜になるとさ、そこくらいしか行くところが無いんだよ。暇になるとそこでレコードみたりしたね。となりにロキシーがあって、その隣がウィスキー・ア・ゴーゴーだね。道路には当時でも人が溢れてたよ。賑わって たね。

イシハラ) 小林さんはこれだけ刺激的な時代に住んでいたのによく帰国しましたね? よくそのまま居着いちゃう人って多いじゃないですか?

小林 昭) そりゃ、そうだよ。まだ何もやってなかったもの。日本に戻って仕事してって思ってたもの。僕は僕でさ、旅の途中だったわけさ。

イシハラ) 去年の末ですけど、ゼファーのジェフ・ホーが来日して青山の「共存」でデイビッド・木下とチャーくんとアートショーしましたよね。その時に小林さんがジェフ・ホーにこの『P.O.P.』を手渡ししたら「これ誰が撮ったんだ?」って驚いて小林さんが「記念に一冊どうぞ」って渡したら「サインしてくれ!」って感激してましたね。

小林 昭) うん。あれは嬉しかったねぇ。

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